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2006年1月12日 (木)

白夜行を見た

最初、ドラマになると知ったときはこんなこと書いてた私です。
それから3か月。
期待と不安がほどよく混じりあった感じではじまった第一話は、「背筋が凍るって、こういうことなんだな」と思った。設定上、11歳の女の子の視線でですよ。
子供時代の2人が駅のホームで別れたシーンでひとつの物語が完結したような気持ちです。
そして、成長した亮司が笹垣を見つけるあのラストシーンでふたたび物語が動き出す予感。
重くて救い様がない話だけど、最後まで見届けたいです。ていうか1話からこんなにドップリはまって大丈夫なのか私。

でもいくらなんでも、エンディングはセカチューとかぶり過ぎ。
セカチューのドラマはあれでひとつの完成された世界なので、他に流用すべきではないよなあ。
この白夜行のドラマもすでに1話にして、ひとつの世界を構築してるだけに。

そしてなんで木曜9時なんだ。
今日は一日このことばかり考えてしまったので仕事になりませんでした。やっぱりどう考えても金曜10時向きなので、来週からでもいいから夜王と枠チェンジしてほしいよ…

ここから先は完璧にネタバレですよ。(1/13:見直したので追記しました)


1話は子供雪穂が物語の空気を支配していた。
父親を刺した後、血まみれのハサミを亮司の手からとって、
「あたしが殺したんだよ」
そう雪穂が言って微笑んだシーン。このシーンで背筋がぞくりとした。
あれは11歳の目じゃなかった。
私は原作を読んだとき、どうしても雪穂のイメージが浮かばなかったのだけど、このシーンで確信した。この目と微笑みが雪穂だって。亮司が自分の人生をかけた女なだけある、と、一瞬で納得させられてしまった。

やはりこのドラマのキーパーソンは笹垣ですね。
武田鉄矢恐すぎる。最初、エセにもほどのある関西弁をCMで聴いたときは「えー」と思いましたが、実際には、エセ関西弁は気にならなかった。最後の亮司との対峙シーンなんて夢にでそうなくらい恐い。
そんな笹垣は子供にも容赦しないが、それに対抗する雪穂も恐い。
ハーモニーの包み紙に笹垣が気付いたことに気付いた雪穂のシーンなんて、息がとまったよ。
「きみならスカーレットになれるで」と去り行く雪穂に声をかけ、微笑みを返す雪穂なんて、ある種の神々しさすら(悪魔的というか)感じたもの。

なんか雪穂ばかりだけど、子供亮司も父親がアレなことを雪穂にしているところを見てしまったときに、ダクトから覗かせた表情とかが悲しかった。
思っていたより普通の少年だったから、余計に。

来週からは成長した2人の長い物語がはじまりますね。
雪穂の分まで影を背負ってしまった感のある山田孝之の亮司と、過去など微塵も感じさせないお嬢様風な綾瀬はるかの雪穂は結構いいと思う。まあ、まだ判断できるほど出番ないですけど。というか、見終わった後だと、最初のシーン(2005年12月24日)はいらんかった気がしないでもないよ。

追記

HDDからDVDにダビングしながら、再度見ました。
最初のシーンはいらんかった気がしないでもない、と書いたがとんでもなかった。(まあもう少し短くして雪穂の表情は入れないほうがよかったんでないかな、とは思うけど、あくまでも私の主観だ)
血まみれの亮司が指さして「行って」というのは、子供時代の雪穂が亮司にしたことと同じなんですね。最初の現代シーンはあまりちゃんと見てなかったので気付かんかった。

それにしてもラストの笹垣と亮司のシーンはぞくぞくくるなあ。
亮司の目の色がカットごとに変わっていくんだよ…笹垣が微妙にこっち見てにやりとするんだよ…。
あれが恐い(笹垣が)。

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